紙幣刷新、渋沢栄一(1万円)と津田梅子(5千円)とは。実は群馬と深い関わり

政府は4月9日、2024年度をめどに千円、5千円、1万円の各紙幣のデザインを一新することを発表しました。千円札は北里柴三郎、5千円札は津田梅子、1万円札は渋沢栄一の図柄となります。

新1万円札のイメージ。出典:財務省ウェブサイト

富岡製糸場の産みの親、渋沢栄一

「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一(1840~1931)は群馬、特に富岡製糸場と深い関わりがあります。富岡製糸場は、明治5(1872)年に建設された日本で最初の官営模範製糸場です。2014年には、周辺の遺産とともに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界文化遺産に登録されました。

富岡製糸場の 東置繭所

渋沢は埼玉県深谷市の出身。養蚕業などを営む農家で育ちました。20代のころは尊王攘夷思想に傾倒し、いとこの尾高惇忠と高崎城乗っ取りを計画するなど、血気盛んな一面もあったと伝えられています。

フランス留学中に明治維新が起き、帰国後は明治政府で大蔵省の役人となります。明治2年、当時30歳だった渋沢は蚕糸業の知識を買われ、官営富岡製糸場設置主任となりました。フランス人技師のポール・ブリュナを招くなど、製糸場設立の中心的な役割を果たし、製糸場の「産みの親」とも言われています。ちなみに尾高惇忠は、製糸場の初代場長となっています。

渋沢はその後、実業家として活躍。日本で最初の銀行である「第一国立銀行」など、生涯にわたって約500もの企業の設立に関わりました。上毛かるたの「日本で最初の富岡製糸」もしかり。まさに、日本の近代化を切り開いた先駆者といえます。

日本女子教育の先駆者、星野あい

5千円札の津田梅子(1864~1929)は、1871年の岩倉使節団に随行した最初の女子留学生の一人です。なんと最年少の6歳で渡米! 近代的な女子教育に尽力した功績で知られ、1900年には女子英学塾(現 津田塾大学)を創立しました。

新5千円札のイメージ。出典:財務省ウェブサイト

津田の厚い信頼を得て、同大の初代学長となったのが、沼田出身の教育者・星野あいでした。

星野あいは利根郡戸鹿野村(現沼田市)の出身。幼いころから成績優秀で、横浜のフェリス和英女学校(現フェリス女学院)に務めていた兄の勧めで、同女学校に進学。当時としては最先端のキリスト教精神に基づく女子教育を学び、卒業後はアメリカ留学も果たしました。

津田が病気で亡くなった後は2代目塾長となり、女子大学実現のために奔走。戦後の学制改革により津田塾大学となり、1948年に初代学長に就任しました。「沼田かるた」にも「先覚の女子教育者 星野あい」の札があります。

これほどグローバルに活躍した女性を、山間部の沼田市が輩出していたとは驚きです。

あいの父、宗七は横浜で生糸貿易を手掛けていました。その縁で、兄の光多も横浜でキリスト教を学んでいます。明治期の女子教育とキリスト教精神との関係は深く、当時としては先進的なあいの生き方は、そんな家庭環境が影響しているのかもしれません。こちらも生糸と群馬の深い縁を感じさせるエピソードですね。